熊さんことDr.熊谷氏が今年度をもって退官されました。
陸水学、特に琵琶湖の研究では常に第一線で突っ走ってこられた研究者である。
熊さんとの出会いは20年以上さかのぼる大学4回生の春。
熊さんの研究フィールドである琵琶湖で卒業研究をさせてもらうことになった。
今は天国にいらっしゃる私の直の恩師と特に仲がよかったので、僕達は熊さん属する琵琶湖研究所に頻繁に出入りさせてもらい、いろいろなことを学ばせていただいたのである。
退官記念の宴は、琵琶湖の玄関である大津の割烹「いと井」さんで行われました。
大学・研究機関の研究者の方々をはじめ、僕らのような熊さんにお世話になった面々。
お人柄と熱心な研究スタイルから、外国人研究者も多数いらっしゃいました。
今回の宴にご参集されていた若きDrの方達も、僕達と一緒に学生のときに学んでいた人達である。
世代交代はさびしいことでもありますが、ある意味、未来のためにはとても大事で必要なこと。
熊さんは退官されるけど、その思想は若きDr.達に引き継がれている。それがこの宴の随所で感じられました。
熊さんの今後は、南草津にある某有名私立大に勤務しながら、新会社を立ち上げられるとのこと。
社会人になってから何も恩返しが出来るようなことができていなため、今後、仕事で恩返しが出来ればいいなぁと思っています。
とにかく自分としても、懐かしい方々とも再会でき、皆で熊さんの再出発をお祝いすることができて、とても有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
今思えば、4回生になってすぐの訳の分からないうちに琵琶湖へ行ってきなさいと恩師に言われ、急いで身支度を整えたのを憶えています。
F先輩と2人で滋賀県の湖北町にある船長Oさんのお宅に3ヶ月間お世話になりながら、どっぷり現場につかって雨の日も風の日もどんな悪条件の日も毎日データを取りに湖に出ました。
そのとき、熊さん属する琵琶湖研や京大防災研の多くの研究者、地元の船長さんの下でいろいろなことを体にたたき込まれました。
そう。頭ではなく、とにかく身体にたたきこまれたことを今は懐かしく思う。
まさに脳みそが筋肉だったかもしれません。
辛かったことも楽しかった思い出として残っている。若さゆえだったのでしょう。
この経験が今の自分の仕事のベースになっていることは間違いない。本当に感謝したい。
大津駅前にある割烹「いと井」。これは裏口です。
熱心に研究論を語る熊さん。
どんな研究者でもそうですが、話が弾むと、どんどん難しくマニアックな話になってきます。
僕達のような頭が筋肉の人間には途中で○△□・・・×・・・になってしまうことも良くあります。
ぼくたち研究生からは、最新兵器ipadをプレゼントしました。
「財布は大丈夫か」と心配されてましたが、とても喜んでくれました。
後輩の嫁さんからのプレゼントを試着。まるで少年のよう。こういうお茶目な面もあります。
奥に陣取る方が湖北町にお住まいの船長Oさん。3ヶ月間、家族のようにお世話になりました。
まさに20年ぶりの再会でした。開口一番「俺の教えてやったことが役にたっとるやろ!?」「はい、その通りです。」「そうやろ、そうやろ・・・」
ロープの結び方から天気の読み方まで、いろいろなお知恵を授かりました。
当時僕達が勉強を教えてあげていた子供さん達3人は、医療・福祉の道でご活躍されているとか。
宴の跡、店の前で人間アーチ。猛スピードでくぐりぬけていかれました。とってもシャイなお方です。
最後は1本締め。
琵琶湖で修行した同じ研究室の面々と熊さんと集合写真。